こんにちは。

最近、コーヒーミルを買って
コーヒーを飲むようになりました、たけはるです。

以前からコーヒーは好きでしたが、
すごくこだわるほどではなく、インスタントとかもあまり気にせず飲んでいました。

でも、ある時間違って、挽く前のコーヒー豆を買ってしまい、まあしょうがないかとコーヒーミルを買って飲むように。
ミルも、古道具屋さんで見つけた、ドイツのメーカーの、もう何年も使われているようなものでした。
何年もコーヒーを飲んでいるはずなのに、椅子に座って両膝でミルを挟みゴリゴリ挽く感触は初めてでちょっと嬉しかったです。
「コーヒー」を見る目が少し変わった気がしたのでした。

今日は、毎回ご紹介している「本」の見方がちょっと変わるような一冊です。

あなたにとって「本」とは何ですか?


今回ご紹介するのは、ジョゼ=ジョルジェ・レトリア・文、アンドレ・レトリア・絵、宇野和美・訳の
『もしぼくが本だったら』です。

この絵本の編集を手掛けているのは、東京・浅草にある「アノニマスタジオ」さん。
「『ごはんとくらし』をテーマに本づくりをする出版社」として、エッセイやレシピ集、絵本など、多くの本や連載を手掛けています。
主な出版本としては、高山なおみさんの『日々ごはん』などが有名でしょうか。
日々の、ちょっとした変化や幸せみたいなものに、目を向けるきっかけとなるような本がたくさんあるのですが、その中で偶然見つけた一冊がこの本でした。

この本は、どのページも「もしぼくが本だったら」という書き出して始まります。

「もしぼくが本だったら つれて帰ってくれるよう 出会った人にたのむだろう。」

ここから、どんどん「もしぼくが本だったら」と話が進んでいきます。
ここでは、その一部をご紹介します。

もしぼくが本だったら 本棚のかざりにするのは かんべんしてほしい。

もしぼくが本だったら 〈おわり〉という言葉は 絶対にいそいで読まない。

もしぼくが本だったら なによりも まず いつでも読まれ、自由でありたい。

もしぼくが本だったら 戦争したがる心をいっぺんでうちくだく 効果的でやさしい武器になる。

ついつい、作業的に、娯楽的に、あまり深く考えることなく、読んでしまうことも多い「本」。
でも、本当は「本」ってこういうものだったな、とか、こういう役割もあるな、と改めて気づかせてくれる一冊でした。

「本」というものが意思を持った時、こんなことを思うのかもしれない…。
そう思うと、「本」の見方が変わりそうです。

様々なメディアがある中での「本」の在り方。


今は、個人が情報を気軽に発信できる時代。
なので、SNSはもちろんのこと、ブログやYouTube、ポッドキャスト、ZINEなどの数多の媒体を通じて、文字情報や音声情報、写真などの視覚情報を発信できるようになりました。

ここまで気軽に、しかもトレンドも目まぐるしく変わっている流れがある一方で、「本」というのは、手に取ってもらって初めて伝わるものだし、自分の文章や写真やイラストを、書いて、まとめて、印刷して、どこかに置いて売る、もしくはあげるという過程を経て世に出される。
情報発信の手軽さでいうと、すごくハードルの高いものです。

でも、「本」というジャンルの歴史でいうと、比べ物にならないほど古い。
例えば、世界各国の歴史や思想は、当時の様々な思想や考え方、立場の方が残した書物から読み解いたもの。
また、「焚書坑儒」という本にまつわる歴史に残る出来事もあって、当時「本」というものがいかに重要な立ち位置であったかが分かります。

今回、コロナウイルスは実在するウイルスでしたが、これが「コンピューターウイルス」だったら?と、ふと思うことがありました。

SNSやYouTubeなどのインターネットコンテンツは軒並み機能停止。
飲食チェーン店の売上管理や、会社の顧客データなど、事業に関わるデータ化したものが使えなくなると、今よりももっと経済が止まって影響が出かねないな…。
そういう意味で、インターネットの脆さと本の強さを感じたのでした。

「本」を扱う仕事に就いている者として、本の在り方を改めて考えてみたいですね。

写真は、最近買った本たち。
久しぶりに海外のZINEを買ったのですが、やっぱりバイタリティがすごかった。
あと、前々から気になっていた、ソール・ライターの本。
装丁はほぼ同じなのに、第1弾が幻冬舎、第2弾が小学館という版元が違うのも面白いです。
まだまだ梅雨が続きそうなので、「晴耕雨読」ということでいろいろ本読もうと思います。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。
次回もまた、お楽しみに。

 

 

(文/たけはる/某雑誌編集者)