「人はどうして生きているのか」「生きる意味は何なのか」
高校生のころにこの問いにぶつかって、もう10年以上が経つ。

色々な本を読み漁ったが、明確な答えは分からぬまま。
この問いの答えなんてものはないと諦められれば楽だったが、なぜか諦められなかった。

ああでもない、こうでもないとモヤモヤと考え続けてきたが、
そのおかげで分かったことがある。

それは、この問いに対する答えは、
人から与えられたものではだめだということ、
自分で見つけないといけないということだ。

私が必要としていたのは、普遍ではなく、
極めて特殊で個別なものだった。
答えを受動的に待つのではなく、能動的に探し求め、
考え続けていかなければならないと気づいたのだ。

それに気づいた時、私の本を読む姿勢が変わった。
自分の人生に活かそう、自分のために学ぼうという姿勢になった。

そんな自分が自分の人生を考える上で、参考になったのがこの本である。

4000人のいのちによりそった“看取りの医者”が教える-死ぬときに後悔しない生き方-
内藤いづみ/著

この本は、「在宅ホスピス医」(自宅で最後の時間を過ごしたいと望む患者を診る)の著者が、患者やその家族とのエピソードをまとめたものである。

その人達の生き様を通して、人生という有限の時間をどう生きるか、
「生き方」を強く考えさせられたと同時に人の数だけ物語があることを改めて感じさせられた。

この本のエピソードの中でも私の気に入っている話は、
自分の好きなことをするために最後まで家にいたいと望む男性の話である。

その好きなこととは
友人と麻雀をすること、
競馬をすること、
一日中ジャズを聴くこと、
家族といることだった。

私は、自分の時間が残りわずかだと知ってなお、
自分の好きなことを実行するという生き方に強く惹かれた。

「趣味は何?」「休みの日は何して過ごすの?」「何が好きなの?」
こんな質問が私は苦手だった。

特にこれといって思い浮かばないし、人に話せるようなことがないのだ。

テレビを見ることは多いが、それがなくて困るということはない。
本はよく読むが、その内容を人に何か語れるわけではない。

そこで、日々を漫然と過ごしている自分に自己嫌悪を覚える。
何かに熱中していて、それを楽しそうに話している人を見ると、羨ましいと思うことさえある。

だが、「自分の好きなこととは何か」を自分に問い続けていくうちに、
「人に誇れるようなすごいことを好きにならないといけないと思っていた自分」に気づいた。

人にどう思われるかは関係なく、自分がそのことに没頭できる、落ち着く、楽しめる…。
そんな自分の感じ方が全て。それが「自分の人生を生きる」ということ。

そのことに気づけば、なんのことはない。

私の好きなことは、「掃除」、「料理」、「読書」、「服を買うこと」、「コーヒーを飲むこと」、「チョコを食べること」、「森や滝などの自然の中に行くこと」…。
たくさん挙げることができる。これからしたいこともある。

「好きなことがたくさんあるということは、幸せに直結する」

単純明快だが、今までの自分が実感できなかったことである。そして、今なら言えるが、自分の人生に彩りを与えるのも自分次第である。

無色だと思っていた私の人生にも、色があることに気づくことができたのだ。
(文/ながっちゃん/❝生きる❞を考える現代の哲学者)